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奈良・慈光院
今回は、おそらく今年で最初で最後の精進料理。
奈良の慈光院へ行き、いただいてきました。
慈光院


感動!!!!!
もちろん料理の内容も素晴らしく、これだけで感動なのですが、
もっとたくさんの感動をいただきました。

まず、最初に入ったところの景観が抜群。
なんともいえない雰囲気のある美しさ。
食事するところから見る窓越しの景色も、庭も、茶室も、すべてが
素晴らしい。本道には釈迦如来像がありました。

素晴らしいといっても、大規模な場所や豪華な装飾にはない、日本の
わびさびの風景です。
ここは「石州流」の発祥の地と言われるお寺です。

食事が終わった後は、庭の見える席(大名しか座れなかったという最高の眺めの席です)でお茶もいただきました。
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ジャンクフード
今日は、イギリスからこんなニュースが。
学校からジャンクフード追放=英教育相が宣言


英国のケリー教育相が28日こんな宣言を行った。
その内容は、低品質の加工ソーセージ、ハンバーガーを来年9月から学校給食での使用を禁じるとのこと。
さらに、ポテトチップス、チョコレート、甘味たっぷりの発泡性清涼飲料の自動販売機を学校に置くことも来年9月から一切禁止すると、かなり思い切った内容で驚いています。(抜粋ですので、詳細は記事をご覧下さい)

日本の学校給食のあり方についても、危惧されることがあります。栄養を皆に均一にあたえるという学校給食の当初の目的は、既に過去のものになりつつあります。
飽食・グルメの時代に生まれ育っている子供たち。
「食べること=生きること」そんな感覚はもうないのかもしれません。
「食べること=おいしいから」こんな声が聞こえてきそうですね。

教育の現場では、「食育」の重要性が増してきています。
食べ物があるのが当たり前の時代。
給食を残すことについても、私が小学生の時は、ひとりだけが残ってでも最後まで食べましたが、今はそういうことはありません。
好きなものだけ食べて、食べられなかったら残して捨てる。
これが当たり前になっています。

食べ物が不自由なくあるということは、当たり前ではないんだよ、という感覚がないと、いくら説明しても子供たちには理解できないかもしれません。
食べ物に困った経験がありませんから、「捨ててもいくらでもある」
「捨てて何が悪いの?」という感じではないでしょうか。

ファーストフードからスローフードへ。
「食」について考える、そんな時間が持てればいいなあと思います。
菜食と動物の権利
菜食というと、野菜ばかり、サラダばかり食べていると思われているのかもしれません。
野菜ばかり食べているのではなく、「動物を食べない」といったほうが、正しい言い方かもしれません。

どうして?って言われたときには、
それは医学的にどうのこうのとか、栄養学的にどうのこうとか、そういう話になります。
しかし実際のところ、今の西洋医学や栄養学自体が正しいでしょうか?
こう書いてしまうと、医療関係者の中には反感をもたれる方がおられるかもしれませんが、実際のところ、人間の知識はしれていますし、現在正しいと思っていることも、時代が変われば間違いだったと、ころっと修正されてしまいます。
本当に正しい道理は、不変のものです。

話しがそれましたが、人間の体は小宇宙といわれ、目に見える世界もあれば、目に見えない世界もあります。
目に見えない世界の力のほうが圧倒的に大きくて、私たち人間の目にしている世界はとても小さなある部分しか見ていません。
それなのに西洋医学や栄養学では、目に見える検査データばかりを追い求めて、説明しようとすること自体が、全く卓上の理論であり、もともと東洋医学とは全く違う卓上の上での話しですから、いつまでたっても、理解されないかもしれません。

結局のところは・・・
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